なんとなく日々の忙しさに背中を押されながら、「あれ?このままここで働いてて大丈夫なのか?」と思うことはありませんか?
「とにかく安定した人生を…!」という考えで、何となく仕事を選んでしまうと、自分が気付けていなかった本音と現実のギャップで苦しむことになるかもしれません。
「大卒で飲食業界→日雇アルバイト→中堅インフラ会社→起業」と15年間社会人をやってみて、
- 自分ってどんな仕事に向いてるんだろう?
- というか、どんな仕事がしたかったんだっけ?
- どんな人生をイメージしてたんだっけ?
この部分を徹底的にやっておけば良かったな、という後悔でした。いやほんとに。
ブレない軸を持たない僕を待っていたのは、100時間超えのサービス残業や、毎週うつで誰かが辞めていくという環境。パワとかモラなどいろんな名前のハラスメントも日常茶飯事です。
特に責任が増えた30代になって、「働くってどうしてこんなに苦しいんだろう。」と悩みむことも増えました。
でも、それって必ずしも会社のせいじゃなく、「よく考えないで働いてきた自分」の責任だったりもするわけで、だから余計苦しいんですよね。
なので、「結局自分はどうしたかったんだっけ?」を早い段階で知っておくことで、自分に合った仕事を見つける準備が出来るんじゃないかと思うんです。
自分自身を知るためにいちばん大切な「幼少期」
どうして幼少期が重要なのか?
それは、社会や集団の影響を受ける前の自分が、本当の自分だから、です。
集団や組織に属すことで、無意識のうちに人の価値観に合わせてしまっていたり、本音を隠してしまったりすることってありませんか?
特に協調性に富んで、空気を読んだり合わせたりするのが得意なタイプの人は、案外「自分らしさ」がわからなくなっていたりするものです。
本当はこう思うけど、なんかそれを言ったらしらけちゃうかも・・・みたいな。
そうやって本音にフタする習慣が身についてしまうと、自分の欲とか本心をさらけ出すのがどんどん苦手になっていく。
だから、自己分析をするときは、思い切って幼稚園児くらいまで遡って、『人生の棚卸し』をしてみましょう。
大切なことは、事象と感情を書き出すこと
自分の棚卸しをするときは、
- 事象(出来事)
- 感情(その時思った気持ち)
を赤裸々に書き出してみると、自分の考え方の癖や願望が見えてきます。
焦らず急がず、じっくりと、なにか飲み物でも飲んでリラックスしながら、時間をかけて棚卸しましょう。一日で終わらせる必要はありませんよ。
やりきったことが無くたって、人に誇れるものがなくたって構いません。
大抵みんなそうですし、忘れているだけかも知れません。
ここで、自分に自分を大きく見せるのはNG。辛いこともあるけど、素直に、素直に。
- 事象(どんなことがあったっけ?)
- 感情(どんな風に思ったんだっけ?)
細かく具体的に掘り返すことで、意外なな一面が見えてきます。
子供の頃の思い出というと、 たとえばこんなこと。
■友達との接し方や距離感はどうだった?
(人と仲良くするのが好き?一人でも平気?とにかく目立ちたかった?)
■どんな遊び方が好きだったのか/嫌いだったのか
(なぜか夢中になっていた遊びは?楽しいor嫌な思い出は?)
■大人に叱られた話や、納得いかなかったこと
(自分の感情はどう動いた?大人になるに連れどう変化した?)
■習い事や部活にどんな気持ちで参加したか
(始めた理由は自分?親の勧め?続かなかったのはどうしてだった?)
■やったこと、やらされたこと、できなかったこと、やりたかったことなど
(それらはどうしてできなかった?どんな感情を抱いていた?)
どんなに小さなことでも、書き出すこと。
紙でもPCでもスマホのメモでもなんでもいいです。まとめやすく、後で見返した時に見やすければ何でも。(ベストはやはり、紙ですね。)
頭の中でイメージして全てを整理できるほど、人間の脳は優秀ではありません。
ですが、紙にアウトプットすることで“忘れてオッケー!”のサインが出ます。
さあ、忘れるためにメモしましょう。
過去を振り返る順番はありません。まずはエピソードを思いつく限り具体的に書き出すこと。
注意点は、「カッコつけないこと」です。
誰に見せるわけでもないので、恥ずかしかったりダサかったり、怠け者な自分や、意外と頑張った自分が見えてくることでしょう。
いくつもあるエピソードで、心が一番動いたものにフォーカスする
自分の過去を振り返ってみて、どれが一番強烈なエピソードだったか。
最も感情が動いたところにフォーカスしてみましょう。
例えば僕の場合、
- 小さい頃からいろいろ部活はやったけど、どれも中途半端だったな
- そもそも競争や闘争心がなくて負けてもいいと思っていた
- どちらかというと「やらされ」感があった。情熱を持てなかった
- でも漢字のテストだけは誰にも負けなかった
- 自作の小説を書くことならトイレの中でも書いていた
- 誰にも見せなかったけど、楽しかったな・・・
僕は運動音痴で、走るのも球技も苦手な子供でした。鉄棒の時間とか地獄でした。
でも、物を書くことや、記憶することは苦痛じゃなくて、得意だった。
社会人になってビジネス文書を作成するのは比較的スムーズに覚えたのは、こういう過去の体験が元になっていたのかもな、と自分を知ることが出来ました。
そして、やらされることには全然やる気が出ない子供で、自分でやりたいと思ったことには異常なほどに集中する極端な性格、という一面にも気付くことが出来ます。
こんな感じで、小さな頃にあったエピソードを掘り返していくことで見えてくることってたくさんあります。
子供の頃、自分がなりたかった大人のイメージは?
次に、自分が本心から望む未来について考えてみましょう。
幼い頃、自分がどうなりたかったのか。思い出してみて下さい。
方向性を決めることで、自分が次にどんな行動をするべきか、少しずつ鮮明にするためです。
ちなみに僕の場合、小学校の卒業文集の“将来の夢”で、なりたいものは『サラリーマン』でした。(ヌルリと叶いました笑)
たぶん、父親がサラリーマンだったので、その背中を無意識で追いかけたのかもしれません。
僕にとって、サラリーマン像は、父親のライフスタイルの影響が色濃かったと思います。
- 家族を養いながら、マイカーを所有して一軒家を30代で建てられる経済力
- 夕方18:30には家族で食卓を囲むことが出来る
- 土日は仕事休み
- 家庭に仕事は持ち込まない
- 子供の行事ごとはほとんど参加
今考えても、なんだか理想の会社員像ですね。
仕事しててなんか辛いなーとか、違和感アリアリなときは、たぶんですが現実と理想のギャップが大きくなっているときです。不安や焦りの正体も一緒です。
「このままでいいんだろうか…」
という心のサインをキャッチするためには、自分の心との対話してみることが解決の近道です。
自分が何に不安を感じているのか、その大元が必ずわかりますから。
行き詰まったときは耐えるより行動が吉
迷いや不安の正体がわかったら、次にすること。
結論から言うと、「行動すること」です。
「このままずっとここで働いて、それが実現できるか」を考えたとき、本当はどんな働き方が自分の理想なのか、候補が出てくるはずです。
たとえば、
- 本当はもっとお金が必要だ
- 本当は定時で帰れる仕事がいい
- 一人で黙々と仕事したい
- 在宅ワークが認められる仕事がいい
- フレックス制がいい、などなど…
このままじゃなければ、どんなスタイルで働きたいのかを問いかけてみて下さい。
ちなみに昔の僕みたいに「考える余裕ないから適当に安定できそうな会社」という基準で選ぶと、高確率で「こんなはずじゃなかった…」と後悔する未来が待っています。
「じっと耐えて好転するのを待つ」という作戦は、人生を他力に頼ることになります。でも上手くいかなくても、責任は自分で取らないといけない、分の悪い賭けです。
就職は恋愛やお見合いによく例えられますが、狙った対象にアプローチして「付き合う」という目標を達成するためには、「告白」という行動は避けて通れないのと一緒なんですね。
なので、行き詰まったら、変化を求めて行動すること。
理想のライフスタイルを叶えるための資格やスキルを磨くでも、独立起業するでも、副業して新たな収入源を手に入れるでもいいです。
“働く”ために何かを犠牲にしても結局はうまくいかない
自己犠牲の先に幸福はありません。
犠牲ではなく、貢献のベクトルで社会や他者と関わるべきだと、個人的には考えます。
犠牲は我慢、貢献は価値提供です。全然違いますよね?
人によって、仕事に求める基準は様々です。
- 充分な給料か
- 自己実現の時間はあるか
- 楽しいと思えるか
- 誰かの役に立っているか
別に楽しくなくても給料高ければそれで満足、という人もいれば、誰かの役に立てるから、自分の時間なんて必要ないよ、という人も。
でもそれだけじゃなくて、「給料さえ高ければ他はどうでもいい」という働き方って、ぶっちゃけ“もたない”んです。
これまで、花形の営業職ですり減って辞めていく人や、決まった作業の繰り返しの事務職でうつになってリタイアしていく人もたくさん見てきました。
「○○だけあれば」という労働スタイルは、いつか限界が来ます。
それは、必ずしも病気というわけではなく、無気力、不感症など、目には見えなくてもジワジワと心を蝕んでいく神経毒のような作用をもたらします。
できれば何十年も我慢して我慢して、定年後にやっと自分の人生を楽しめる…なんてもったいない時間の使い方だけは避けたいものですね。
仕事を長続きさせるためには、苦手分野で戦わないこと
短所を改善するよりも、長所を伸ばしたほうが時間を節約できる、という話です。
大学入試をイメージして欲しいのですが、苦手科目に時間を割くより、得意科目で平均点を上げたほうが、合格率は確実に上がりますよね。
ただ、会社に入ってしばらく経たないと、得意苦手の判断ってできません。
なので、先に上げた4項目の中で、
「楽しい」(=苦じゃない)の要素があれば、そこには時間を投入する価値はあると思います。
僕は会社を退職する際、ルートの営業職から、人手不足を理由にまったく未経験の事務職に異動されたことがあります。
子供の頃から数字に苦手意識があり、中学、高校と数学に苦しんだ記憶が蘇った僕にとっては地獄のようでした。あのときはめちゃくちゃイヤイヤ働いてました…。
自分の得意分野は、過去の自分の「苦もなく出来た」ことの延長線上にあります。苦手なものを克服することってとても時間がかかるので、僕はオススメできません。
やっとの思いで克服しても、得意な人には全然及ばないレベルなら、その時間なんだったの?って悲しくなってしまうかもしれませんよ。
結局最後は人間関係。ダメなときはスパッと諦めよう
何だかんだ言って、最後は「誰と働くか」に尽きます。
大学の同期が出世していく中、僕は20代の後半に2年間日雇いアルバイトをしてましたが、ヤクザみたいなトラックドライバーのおっちゃんたちは皆気さくで良い人ばかり。
逆に、手堅いインフラ企業の管理職だった頃は、年収は倍になっても意地悪な人やハラスメントに苦しみました。
会社員の辛いところは、価値観や考え方を強制されるところです。
組織として最も強いのは宗教と軍隊だ、と思い込んでいるような経営者や幹部の会社では、自分らしくあるがままに、が許されないことも多々あります。
こういった社内の人間関係において、「これ以上は無理だな」と感じたら、戦わないでさっさと離れてしまったほうが時間を節約できます。
ムカつく上司が退職するまで粘った自分に、「勝った!」と誇ったことがあるんですが(ショボいですよねw)、
数年後、僕もちゃんと心を病み、死んだサバのような目になって働いていた思い出があります。その時始めて壁役だった上司の苦しみを思い知りましたが、時既に遅し…。笑
環境の力は偉大です。個人の力では抗いがたいものですし、戦い抜いた果てに疲弊して倒れてしまっては元も子もありません。逃げるが勝ちです。
まとめ:仕事で悩んだら、まず自分と対話を
忙しさやストレスを常に抱えていると、自分の心の声に向き合う機会って極端に少なくなっていきますよね。
でもそれ、危ないサインでもあります。
繰り返しますが、自分の本音や願望って、幼少期に色濃く現れています。
逃げるとか、離れるとか、呼び方は色々ありますが、目の前のしんどい現状から脱出することって生き物として自然な行動です。心を守る衝動なので、従いましょう。
だから、世間体や「10年も頑張ってきたから」というサンクコストに負けてダラダラ続けてしまうのは、危険です。
あれ?何のためにいきてるんだっけ?って思ったら、自分の一生を振り返るチャンスです。
本当の自分がどう思っているのか、本当はどんな仕事がしたかったのか、本当にこのままの生き方で良いのか、考えてみて下さい。
我慢が上手な大人は、自分の欲や願望にフタをして素直に引き出すことがなかなかできません。
なので、
- 自分と対話して本音を引き出すこと
- どの方向に進みたいのか、真剣に考えること
- その上で、苦手分野以外で戦える場所を見つけること
以上が、本当に自分に合った仕事を見つける方法です。
人生の半分近く、人によっては半分以上を占める仕事が苦痛だと、ぶっちゃけ生きていてあまり楽しくないです。
せっかく一度きりの人生、最後に「あの時ああしていれば…」なんて後悔しないためにも、悩んだときこそチャンスと捉えて、理想の未来へとつながるような人生の選択が出来ると良いですね。
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