MY PROFILE

はじめまして!

ブログ運営者のKaz(@resuming_life)です。

数あるサイトの中から、このページに立ち寄って頂きありがとうございます。

このサイトでは、

会社のために働くより、自分の人生のために働く

をコンセプトに、一人でも多くの人が、会社優先ではなく自分優先の働き方を実践する方法についての情報を発信しています。

仕事場は自宅やカフェ、ときどき実家。朝は好きな時間に起きて、のんびりコーヒーを飲んで読書してから、仕事開始。ちょっと疲れたらカメラを持って、気まぐれに公園や河川敷に繰り出す。週3で朝イチのジム通い。

今のところ一番の日課は夕方の子供とのお風呂。その後は仕事を再開したり、ゲームしたり読書したり。

自分の一日の過ごし方を改めて振り返るとなんだか派手さに欠けますが、僕はこの生活のリズムに自分らしさを感じていてすごく気に入っています。

こんな生活を送れるようになったきっかけというのも、会社のために人生があるわけじゃない…という当たり前すぎる事実に気づいて、

「このままじゃ終われない!人生変えたい!」

という心の叫びに素直に従ったこと。

わけもわからず副業から始めたブログで、1年後には100万円以上の収入を手に入れたことで、僕の人生は本当に180度変わりました。

なぜそんなことが可能だったのか?

今の働き方にたどり着いた僕のストーリーを簡単にお話させてください。

安定企業に入りさえすれば、理想の生活が待っていると思っていた

深夜にPC前で残業する男性の後ろ姿

僕は独立する前は、地元の生活インフラを支える会社で10年間働いていました。

国家資格を持ち、社会貢献性の高い安定企業の管理職…といえば聞こえは良いかもしれません。

実際は、100時間超えのサービス残業や休日出勤を仕方なくこなす、手取20万以下の薄給激務な名ばかり管理職でした。

「経営者は神と仰げ」の社訓のもとに思想は統一され、会社のブランドと利益は最優先。

ぶら下げられるわずかな報酬で好きなだけ時間を奪われてしまう毎日で、僕は人生の脇役を演じていました。

「とにかく我慢さえすれば、いつか良くなるはず…」

そんな楽観的な期待を捨てきれないまま、気づけば10年。

30代半ばの僕は、社内で出世したものの、なぜか並以下の生活に落ち着いていました。

好きなカメラを買うときも、事故に遭って車を買い換えるときも、「欲しいグレードは手が届かないから一番下からひとつ上のやつ」を無意識に選んだときの気持ち。

看護師の友人から、「引っ越すけどウチのマンション住む?」と誘われて、駅チカで景色も良くて本当はめちゃくちゃ住みたかったけど、「会社も遠いし、その家賃はちょっと払えないよ…」と断った時。

社外から出向してきた保険営業マンの年収は僕の倍。しかも自社の一番偉い幹部よりも多い収入を、20代の若さで手にしていることを知った時。

言葉では慰めきれないほどの劣等感を覚えたものです。本当に。

ごく限られた選択肢の中から、せいぜい自分にふさわしいモノゴトを選ぶ人生だってことはわかっていた。世の中は平等じゃないことも。

けど、働くほどに不自由になっていく人生って一体なんなんだ?

僕はもう、「それでも頑張って働く」だけの自信を無くし、いつしか生活のために仕方なく一日が終わることを望んでいました。

どうせ、こんなもんだよ。僕の人生なんて。

念願の安定企業。

確かに、会社の経営自体は安定していました。

でも、そこで働く僕の日常は我慢と諦めだらけ。

時間も収入も安定とは程遠いものでした。

このままバカ正直に会社に尽くして何になる?

10年働いて、出世のために頑張っても、このざま。

これだけ我慢してまで、バカ正直に会社に尽くして働く意味って、なんだろう?

何一つ理想が実現しない自分の生活を差し置いて、会社のルールと利益を最優先する生き方が、途端に馬鹿らしくなってしまいました。

もう諦めようか?

そんな囁きに心は折れかけていました。

何も叶えることが出来ない自分に自信が持てるはずもありません。

そんなタイミングで、奥さんが念願の赤ん坊を身ごもったんです。

僕らは将来について話し合いました。課題は山積みでした。

これから保育園代や学資保険、教育費などの固定費は確実に増える。
おまけに正社員で働いていた奥さんの収入は数年アテに出来ないとなると…。

もう、自分のために使っていいお金や時間なんて、どこにも無い。

たとえ共働きでも「これから先の人生は、今よりもっと経済的に厳しくなる」という現実は、もう避けられない難題として立ちはだかっていたんです。

それを認めた時、ようやく、僕の中で何かが吹っ切れた。

僕は僕のための人生を生きたい。

自分の時間とお金を、自分のために使えるようになれたら…!

僕に一番必要だったのは、「今のままの働き方」以外の方法でした。

僕とブログの出会い

なにもわからない僕が最初に目をつけたのは、「自己アフィリエイト」というものでした。

これは、自分でクレジットカードを作ったり、商品のレビューを投稿したりエスプレッソマシンをレンタルすることで付与されるポイントを現金化出来るというもの。

実際に副業でやってみた結果、4ヶ月で8万円の収入を得ることに成功。

しかしこのやり方には代償がありました。

ババ抜きできそうなくらい増殖したクレジットカード。使うあてのないエスプレッソマシーンの横で、僕はインスタントコーヒーに湯を注いだ。そしてきっと次は「使うことのないFX口座の開設」を複数持つのだろう。

僕は何をやってるんだ…?

やっていることは「登録してポイントを貰う」という単純作業。

スキルも知識も蓄積できないこの方法じゃ、稼げるのはお小遣い程度の金額。

こんな方法じゃ生活を、人生を変えることなんて、とても無理だ。

手段。思考。行動。

根本的な部分を変えなければ、人生が変わらない。そのことに、この時の僕はまだ気づくことが出来なかったんです。

それでも他の方法はないのかと調べていくうちに、僕は「ブログで稼ぐことが出来る」という方法にたどり着きました。

ただ、調べていて気になった点が3つありました。

  1. 具体的な稼ぐ方法をオープンにしていない人
  2. ブログやSNSの発信に知性や魅力を感じない人
  3. やけにギラついていてライフスタイルに憧れを感じない人

この3つをクリアする人が、なかなか見つからない。

なので、とにかく気になった人を手当り次第リサーチしていく中で、上記3つの条件をクリアし、コアな情報を発信しまくっている“顔の見える”起業家のサイトにたどり着きました。

どうやら彼は、まったくの経験ゼロからブログで広告収入を得ることから始まり、WEBマーケティングと個人ブランドを磨くスキルを手に入れ、ネット上に複数の独自のビジネスコンテンツを築き上げているようでした。

そして軽い気持ちで登録したメルマガの中では、

  • 時間を自分の好きなように使い
  • 僕の年収の何倍もの収入を手に入れ
  • 人生をめちゃくちゃ楽しそうに生きている

僕が心の底から憧れる理想のライフスタイルが、爽やかに実現されていたんです。

「これだ…!」

WEBビジネス経験も、人脈もなし。触ったことあるのは、mixiとFacebookだけ。

それでも、僕は自分に残されたわずかな可能性から目を背けることが出来ませんでした。

副業でスタートしたブログが本業の給料を超えた日

山盛りクレジットカード事件を経て、何事も正しい方法でやらなければ成果は出ないという「そりゃそうだろ」な現実を思い知った僕。

独学では変な方向に迷い込む。なにが正解かも正直よくわからない。これじゃいつになったら結果が出るかわからない。

こりゃもうやり方を知ってる人に教えてもらうしかないと、メルマガを登録していた起業家に必死にコンサルを申し込み(断られかけました)、ブログ収益化の方法を教わり始めます。

ビジネス書なんて年に1冊くらいしか買わなかった僕が、コンサルにお金を自己投資したのもこのときが初めて。とにかく早く結果を出したかったので迷わずGO

そうして会社員の仕事を続けつつ、僕の副業チャレンジがスタート。

WordPressブログの立ち上げから始まり、アドセンス審査、記事投稿の流れをたどったはじめの2ヶ月間。寝る間も惜しんでほとんど一日も欠かさず記事を量産しました。

その眠らずに頑張った努力の成果は・・・

0円でした

さすがにそんなに甘くはない…。

正直言うとちょっと凹んだ。

それでも、もう絶対に諦めないと決めた僕は、毎日会社から帰宅後に黙々とブログを更新し続けました。

そうして半年ほど続けていると、おやおや、徐々に収益が増えてきます。

6ヶ月目で月収10万円を超え…

2019年7月のアドセンスレポート

7ヶ月目で会社の給料より多い月収30万円をあっさり超えました。

2019年8月のアドセンスレポート

広告は複数社導入していたので、これプラスあと4万円くらいオマケ。

そして、

正直これはまったく予想だにしていなかったことですが、

2019年11月のアドセンスレポート

収益化スタートから11ヶ月目の収入がドカンと140万円以上にも跳ね上がりました。

この月は、毎日2万円〜10万円くらいの収入が常に発生していて、ピークは日収33万5千円。

信じがたいことですが、会社員時代の月収より多い金額を一日で生み出していました。

ただ、嬉しかった反面、不安もありました。

これ、続くのか?たまたまラッキーパンチがあたっただけじゃないのか?次の月はドーンと落ち込むに違いない。人生は甘くないぞと。そう、俺は知っているんだ…

ブレーキを掛けるもう一人の自分が囁いていました。

そんな胸中の心配不安をよそに、その後も作業を続けた僕の月収は100万円台を3ヶ月連続で超えていきました。

その頃、僕はブログで別のビジネスを始めようと決意し、新たなWEBサイトの構築に着手しました。

専念するために元々の収益化ブログの更新は放置してしまったので、「0になるんだろうなぁ、これ」とビクビク。しかしその不安をよそに、収益ブログからは毎月30〜50万円以上の収入が自動的に入ってくるんです。

なにこれ?すごくない?シンプルにそう思いました。

自分の進んできた道は正しかった。

失っていた自信を取り戻せた自分をちょっと好きになり、人生をやり直す気力が湧き上がってくる。

ようやく僕は、

「雇われてお金をもらう必要がなくなった」

ことを確信し、会社を辞めました。

働く時間は会社員時代の半分以下。でも、収入は倍以上。

自由に使える時間とお金が手に入ると、単純に選択肢が増えます。

加えて、仕事の傍ら家事や育児を手伝ったり、好きなときに実家の両親の見舞いに行くことだってできる。

僕はやっと、自分の本当に大切なもののために時間とお金を使えるようになりました。

2018年11月 副業でブログスタート
2019年3月   月収5万円
2019年6月   月収12万円
2019年7月   月収42万円
2019年11月 月収141万円
2019年12月 月収112万円 

人生の真ん中で働くのはいつだって自分

旅行バッグとジャケットを持つ男性の後ろ姿

理想的な環境で働いている人にとって、僕の話はさほど魅力的に感じられないかもしれません。

でも、これだけは自信を持って言えます。

仕事を変えるのではなく、働き方そのものを変えるという選択は、人生の次元を変える。

そもそも僕は、「起業や独立なんて自分には絶対ムリ」とのっけから諦めていた、その他大勢に埋もれがちな小市民でした。

でも、自分で収入を生み出すスキルを手に入れてから、単純に自分に自信が持てるようになりました。会社を辞めた翌月、税務署に開業届を出す自分の変わりように驚いたものです。

あなたがもし、お金や仕事についてとてつもない不自由を感じて、人生そのものがつまらなくなってしまっているなら、ぜひ知っておいて欲しいんです。

ネットビジネス未経験、人脈も人に語れる情熱もなく、ただ「こんな人生嫌だ」というネガティブなエネルギーしか持っていなかった普通のサラリーマンでも、本気出せば1年で人生は変えられるということを。

自分が人生の脇役のように感じてしまうのは、人生の中心に会社があるからです。だから、住む場所も収入も時間の使い方も関わる人も、すべてが会社中心に決まってしまう。

そして元を辿れば、「良い大学に行って、良い会社に入って…」という時間を売って給料を貰う働き方しか教わらなかったことにも原因はあります。

何よりも、

会社中心の生き方を選ぶということは、一方で自分中心の生き方を捨てること。

この代償に、僕はあまりにも無自覚でした。

でも、本当は誰だって「こんなふうに生活したかったんだよなあ」なんて理想が、

「どうせ」と諦めてフタをしてしまった、たくさんのやりたいこと、行きたい場所、叶えたい夢が、心の奥底にあるじゃないですか。

夢や憧れや理想は、当然ですが待っていても絶対に近づいてきてはくれません。

このままでダメなら、これからの行動を変えるしかない。

そして人生の中心に自分を置き直すために必要な行動とは、「時間とお金」という2つのカードを自らの手の内に取り戻すことです。

インターネットを通じて自分だけの収入を生み出す仕組みは、ブログで作れます。

たった一つのブログで、何よりも貴重な時間とお金を手に入れることができるんです。

例えば、ブログに記事を書いて集客し、広告費を得るやり方。収益性の高いサイトを売却して利益を得る方法だったり、蓄積したノウハウを知的商品として販売することだってできます。

それらの収入源は、自分が寝ている間にも働いてくれます。結果、自分自身が働く時間は減り、自由な時間は増えるという循環が生まれます。

他人の思惑や利益に左右されない自己責任の生き方は、この上なくシンプルで気持ちがいいものです。「だれのせいでもない」のですから。

それが、僕が提案する「自分のために働く」というワークスタイルです。

これを最後まで読まれたあなたには、きっとその準備が整っているはずです。

ぜひ、一緒にこれからの人生を変える一歩を踏み出していきましょう!